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2019年01月19日
☆『現代生活語詩集2018 老・若・男・女』の書評が2019年1月26日付「図書新聞」に掲載されました。こちらからご覧ください。

カテゴリー:ニュース

                       ☆2019年1月26日付け図書新聞より

 

 

声のことば、たましいのことば
情況的言語を駆使しなくても、困苦的状況を切開していく力

村木 哲


 全国生活語詩の会 編
▶『現代生活語詩集2018 老・若・男・女』
 2018.10.10刊 四六判328頁 本体2200円


「生活語による詩」を提唱する全国生活語詩の会・代表の詩人有馬敲は、本書の巻頭で「言語遊戯的な形式美や西洋の思潮に影響された世界を越えて、日常語によることばの世界がもとめられてゆくだろう」としながら、その「日常語によることばの世界」とは、「地域や家族との連帯など、いわゆる暮らしのことば、地のことば、声のことば、たましいのことば」(「ことばに生命力をそそぐ熱いまなざし」)のことだと述べている。31年生まれの有馬は、わたしたちにとって、六〇年代後半から隆盛するフォークソングの潮流と交錯させながら、秋山基夫、片桐ユズルらと、オーラル派の詩人として、その名は知られている。だからこそというべきか、特に若い世代による現代詩の現在が、難解な詩語を駆使する、「言語遊戯的な形式美や西洋の思潮に影響された」ものを展開している時、そのことを越えた詩世界を、八〇歳代になってもなお思考していく膂力を、わたしなら素直に感嘆するしかない。
 通例、「生活語」といえば方言のことを意味すると思うが、どの地方へ行っても、もはや土地の言葉に接することは困難に違いない。例えば、編集委員の一人で、関東篇の代表を引き受けている、有馬と同世代の黒羽英二が「会を重ねる毎にむずかしくなるのは、関東に限ったことではないが、いわゆる方言なる地方語が消滅して、年毎に(敢えて言えば日を追って)消滅し続け、いわゆる標準語化され、国籍ならぬ地籍不明の人造語に置き換えられてしまったことである」と警鐘をならすように、果たして、「声のことば、たましいのことば」を詩のなかに、どのようにして込めていくのかということは、至難なことではないかと、わたしは思わざるをえなかったのだが、本詩集には「声のことば、たましいのことば」が潜在した多くの詩篇があって、その可能性を見通すことができることを、理解できたといっていい。
 本書は、北海道、東北、関東、中部・北陸、関西、中国、四国、九州、沖縄とそれぞれの地域で章分けされて、一三八人の詩人たちによる詩作品を収載し、各章の扉には、編集委員が小文を記述するという構成になっている。膨大な詩作品のなかから、多くの作品を紹介したいところだが、以下、極力、任意に採り上げてみる。
「今日の母の歌声と/届くはずのない姉への思慕が/抱きとめられることもなく/記憶のはるかな波間/わずかな遠い距離を/漂うわたしの」(村田譲「老いたる母の海に」)、「揺れる恐怖(おののき)/悲しみの水/黙禱のサイレンが/鳴りひびく/それぞれの思いの中に/去来する日々が/桜の花とともに」(東梅洋子「うねり 7年の時」)、「長男と同化したい/理解や認識を拒む脳髄/周囲を気にしない無邪気な心/自己の世界を押し通す頑固さ/父が失ってきたものを/長男は 確実に所有している」(佐藤裕「長男への同化」)、「耕うん機を動かす/土を黒く裏返していく/小指の太さの大ミミズが千切れてのたくる」(伊藤眞司「耕うん機の歌」)、「夜のひととき/ただれた 侮りの糸が/絡んでくるばかり//腹に不発弾を巻いたまま/空しい日々が」(西きくこ「だ、だ、だ、」)、「少年が口笛を吹くと/真青の空に南風が走り/さわさわ さわさわ/少年の指から海が流れ出し/波の音は/ストップモーションを解かれ/しだいに鼓動を/甦らせていった」(うえじょう晶「うりずんに」)
 敢えて、地方語による詩篇は並べていない。有馬が述べるところの「声のことば、たましいのことば」が内圧した作品を引いてみた。認知症の母をめぐる断想を静謐に積み重ねていく詩語の世界に、わたしは感応した。前半部から中半部にかけての、3・11をめぐる言葉たちに、やや拙速感があって、視線を向けていくことに難渋したのだが、最後の一連は、「桜の花とともに」で止めた、見事な「たましいのことば」による作品だと素直に受け止めることができた。知的障害のある十五歳の長男に同化したいと謳う「長男への同化」という作品、耕うん機をモチーフにしながら、土の色、蛙、ミミズを活写していく詩の力、情況的な事柄に疑念を抱くことのメタファーとして、「腹に不発弾を巻いたまま/空しい日々が」という詩語で閉じていく秀抜さ、そして「嘘つきは泥棒の始まり/だ、だ、だ、」という箇所から抜き出して、「だ、だ、だ、」というタイトルにした強い思いに感服した。最後の詩篇は、沖縄からだ。「さわさわ さわさわ/少年の指から海が流れ出し」とは、まさしく、「声のことば、たましいのことば」であり、情況的言語を駆使しなくても、沖縄の困苦的状況を切開していく力を表象しているといえるはずだ。まさしく、それこそが「生活語詩」だと思う。
                                                                              (評論家)

 

             ※図書新聞様の御厚意により転載させていただきました