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151号 谷川俊太郎

151号 谷川俊太郎

漁(すなど)った獲物はなんと異世界のものの姿かたち
捕らえてはみたが魚の神々しいほどの眼差しに
反対に魅せられつい放してやったという

煮汁の凝り固まったような飴色の海原を
裂かれた肉の姿でなお生き生きと尾鰭を振るい
深みへ深みへと魚は泳ぎ去っていった

爾来男は海中から魚の眼で自身を見ている
漁られた命の震えと重みとはむしろ
漁った者の手に刻まれていつまでも残るのだ

再びその眼差しに見(まみ)えたことはないが
男はただ憧れを日々の糧として生きつづける
いつか自らもその姿に似始めたのも知らず



海崖の木にあの人はぶら下がって
寄せ来る波濤に耳を傾けている
もう聞こえなくなった耳で
波の説教に学ぼうとしている

あの人はもう私を見ることがない
私はひとり寝床から起き出して
私を映そうとしない鏡に向かって
見たこともない背中を見つめている

私の中に住む鱶鮫は
昼の間その美しい背を囓りつづけ
夜になると私の心臓を囓りはじめる
私はひとりその音を聞いている


KHM: Kinder- und Hausmärchen von Brüder Grimm

もう八月
とうとうつばめは帰ってこなかった

昨年の六月
二メートルほどの庭の青木の中につばめが巣をつくった
黄色い頭黄色のくちばしの三羽の子つばめ
母つばめが餌をもって巣にもどる
どしゃぶりの雨の朝雨傘を青木にかぶせてやった
金柑の実やじゃこやけずり鰹を細かくして
巣にいれてやった
首をちぢめていた子つばめも
つっかかってきた母鳥も逃げなくなった

つばめの口が茶色にかわった頃
親子のつばめは飛びたった
手をふって「来年また帰ってきてよ」と
大声をだして私は見送った

あれから一年 私は朝に夕に巣を覗く
何もいない巣はかさかさになっている
そう今日は八月十五日
戦争の終わった日
つばめは帰ってこなかった
戦場から帰ってこなかった人達
学徒出陣の若者も帰ってこなかった
私の又いとこも 友の兄も 友の父も
帰ってこなかった

帰ってこないということ
生きられなかったということ
命あるものが命を絶たれるということ

今日もつばめの巣をみにいった
なんにもなかった

満天の星空 蛍が飛び交っていた遠い日
花柄のゆかたを着せられ
妻に抱かれているヨッコをからかって
「ヨッコはイズミヤのバーゲンセールで
 買ってきたんだよ」
オッパイから顔をあげ
口を尖らせて首を振り
「どのおうちにしようかなあって
 お星さんから見てたんだもん」

そのヨッコが
第二子出産のため
おなかをつき出して帰って来た
二才になるお転婆をつれて

「はずかしいッ はずかしいッ」
お祖母ちゃんにはすぐ懐いたのだが
ぼくからは逃げ回る
そのくせ気になるのか
いつも遠くから
こちらの様子を窺っている
ぼくも知らんぷりを決めこむ

十日目を過ぎる頃
食事まえには部分入れ歯を
「ハイお爺ィちゃん どうじょ」
不思議そうな顔をして持ってきた
今ではおやすみのチュッもしてくれる

この娘(こ)にも
「スーパーマーケットで
 買ってきたんだよ」っていつ言おうかな
どんな顔するかな

のらり くらり
摑みどころがない
どうだ 今夜一献!

背中を摑まれても するりと擦(す)り抜け
無駄な付き合いはしない
世渡りがうまいのか 下手なのか

のらり くらり
高望みするでもなく
家族団欒というのでもない

さりとて 孤独でも
寂しがり屋でもない
腹の中がわからないだけだ

備長炭の火のうえに上れば
のらりくらりと焼かれて
見事なばかりの かば焼きとなる

その生涯(いき ざま)の 身のしなやかさに
ひとは舌を巻く
うまいぞ! 浜松のうなぎ屋

こめつぶほどの
ちっちゃなカマキリの行進だ

愛おしさにあふれた
生まれたばかりのカマキリの行進だ

朝のひかりの糸をつたって
はっていくようにカーテンをのぼっていく

かぞえきれないほどの
ちっちゃなカマキリの行進だ

昨日 右手の柔らかなこぶしを
ぱっとひらいてみせた

ふうくんの手のひらに乗っていた
あの泡つぶに似た卵だ

(一夜の内に 孵化したんだ・・・)

いたいたしいけれどいっしょうけんめいな
なんと美しいいのちの行進だ

まれびと まれびと

まれにくるひと

まわってくるひと

いつかきたひと

そして このよのものでないひと

このことば なにかににている

このことば まえから知っている

どこかで 聞いた

そうだ

My late being 
故人 過ぎ去った人

時代も位置も はなれた文化が

同じ存在に
同じ音を選んだこと

それが わかった

見たことも無いものに 
同じ音が結ばれた

そんなもの 
ひとつ見つけた 喜び

めしべとおしべの語らいにしたって
あっさりしたものさ
青い空を踏むのに
死んだふりをする

さわれる近さでも虫に遠回りさせ
さわってさわって さわれないの

コスモスを花束にしてかざる
テーブルを青空がゆるく包む

お話がひとつ ふたつ
ゆるゆる こぼれる
いくぶん涼しい午前
だれよりも生きるふりをする

神の子供がいました
美凛(メイ リン)と言う中国少女でした
メイリンは病気になって病院に泣きながら落ち込んだ顔でやってきました
引きこもりは両親が引きこもりを病院に相談して人と接することを勉強するため病院に
 行っていました
神の子供はある日、引きこもりと偶然に出逢いました
引きこもりは既に高いところから落っこちていました
神の子供はいろんな人からも神からも愛されるべき女の子でした
神の子供はからかい半分で、しくしく一人泣いていた引きこもりを見て話しかけました
「どうしたの? こんなところで」
「晴れたとある水曜日、ふとした瞬間に視線がぶつかったね」
と引きこもりが言うと
神の子供は「幸せのときめき」でしょと見つめました
引きこもりに優しく見つめました
引きこもりは神の子供がこんなところに落ちてきたのかと思いました
引きこもりはなんとかしなくちゃいけないと思いました
それは自分のことではなく
神の子供が元の高いこの世の生きる場所
そこに帰してあげようと引きこもりは抱きしめました
人間とは儚いものでした
人間のこの世で生きている時間の幸せのときめきでした
~負けないでもう少し最後まで走り抜けて♪~
高いところに戻れるように、いや、引きこもりに優しくしてくれたように、

恩返しにこの世の高いところの生活場所に戻してあげようと
高いところから、舞い降りてきた、
高いところに戻るべき天使に偉そうにも
高いところから既に落っこちていた引きこもりは
低いところでカッコつけていました
天使は高いところにいるはずなのに今の間だけ低いところにいました
大丈夫、君の暗黒時代は今の一時だけだから、と
絶対、上方に上げてあげるから、と
引きこもりは戻してあげるからとカッコつけて本気で
戦おうと思いました
「ふとした瞬間に視線がぶつかったね」引きこもりが言いました
「幸せのときめき」でしょと羽を傷つけられた神の子は言いました
痛みと優しさを知ったこの世の最上階から落っこちてきた天の使いでした
翼はありましたが、傷付けられてこの世の高いところに飛べませんでした
今は人間の姿にまで変えられてしまっていました
引きこもりは天使が生きている間に、この世の高い天使に似合った生活のところに戻して
天使の翼を修復させてあげて
再び付けてこの世の生きている間の
高い場所に上げなければと、高い場所に帰してあげるにはどうしたらいいのか、お金なのか、
 励ましなのか、仕事なのか、と初めて男らしく悩みました
下の世界は既に皆汚されていました
「負けないで? もう少し? 最後まで走り抜けて?」と
高いところにいた神の子供に
異性でもある女の子であった高いところに居るはずなのに低い下に落っこちてきた
天使に初めて勇気を出して
男らしく 男らしく
初めて
男らしく 上へ 上へ 
戻す、と 
男らしく 男らしく 
男らしく 男らしく 勇まし良く

ある晴れた日

コーヒーショップで
あなたと出会いたい
赤い花の小さな鉢植えと
あなたの書いた詩と
交換プレゼント

ある晴れた日
あなたの詩を
空に飛ばせば
本当になって

青い空も
雨の虹も
凍りついた窓も

ときめきの中

淋しさも
切なさも

出会いがしらに
消えて
時間が止まる

そのまま
そのまま

晴れた日の昼下がり
あなたの詩を読む

厚い雲も
風の声も
真夜中の嵐も

何もかも全て
消えて

Time stops.
I like your poetry.

ある晴れた日の
昼下がり
あなたの詩を読む

  声変

聞きなれぬ鳥の囀りに誘われて
餌箱に目をやれば見慣れた雀たちが四羽
声帯を病みつづけている新学期
――今日一日この星一巡して卯月…


  紙魚

ようやく日ごとに心を満たしていると思いつつも
たしかに二つの掌に隙間なく仕事を挟んでいるのだけれど
鳩尾(みぞ おち)や関節の皮膚を透して蠢くものがある
――あの日より紙魚(し み)帯びていくほかになし…


  錯覚

夕べの夢に現れた人々は
半世紀も前に亡くなった挨拶をしにきて
私に夢見られることを懇願している
――冬わずか歌手ら唄えば歌手夢に…

  琵琶湖(三)

湖(うみ)色と波音は旅人の蓄えた夢を吐き出した
吐き出された夢が虹色に跳ね返り
水鳥と羊雲が踊り続けていた
――波音を琵琶の音色と聴くまでに我が心根(こころ ね)に航跡は浸(し)む…


  雲仙

この星の地下で息づく物の怪(け)の憤怒(ふん ぬ)を
この星の地上で息づく生き物の憤懣(ふん まん)を
噴煙と噴出で絡めとる魔術の地獄帯
――地獄とは出湯の意味とうこの郷(さと)の地(つち)踏み獄に浸る極楽…


  知覧

澄んだ蒼穹(そう きゆう)が桜色を帯びた並木道に映え
若者たちの弾んだ声が響き渡るとき
刻(とき)がふっと佇んだまましがみついている気配
――君と行く知覧の町の記念館君を君としている不思議…

師走の寒風骨身に堪え
やっとの思いで帰ってみれば
枕元ちょこんと座り
不安な顔して覗き込む
一番下の男の子
グッタリグッタリ
妻の顔

妻が寝込んだ
あの丈夫な妻が
凛々しく看病長女の姿
昔は違った
グッタリグッタリ
長女の顔
余裕で看病妻の姿

年が明ければまたひとつ
成長する人老いゆく人
止まっておくれ よ
還らぬ歳月

水面に無欲の
詩を書いている
鉛筆のつもりの
人指し指
浸かった部分が
水色の屈折だ

水底から
やるせないため息
How How
が聞こえる
飛び込むまい
死ぬぞ

男は立ち尽くすしかなかった

やがて
二度と会えないと思った大切なひとが
ふいに訪ね来る

愛するひとが元気に微笑む姿に
あゝ あなたは元気に過ごしているのだ と
男は思う

そして

波と涙が引いたあと
鹹(しおから)い土地に再び陽が差して煌めく結晶のような
笑みがこぼれ

男は一歩を踏み出す

松葉

散り菊

江戸時代に遡る

そこにあった風情を形にしたら
驚嘆が手の中に納まった

その場所で生まれた夏
今も同じ夏が引き継がれてここにある

バケツの水に
星や風の動きを映し出し
咲き終わった小さな花などを沈めては
魔法のようにまた取り出す

順序があって
選択できるものはこの四つ
あとは心の中の濃淡だ

東京電力の福島第一原発事故により
いっとき笑うことを忘れた

季節は考えることを忘れ
仮設住宅の中の狭さと暑さに泣いた
いま線香花火を楽しんでいる
作り笑いでも
ここから歩き出せればいい

同じ夏でも
時代は大きく変わった

 玉ができる
  玉が激しく火花を発する
   火花が低調になる
    消える直前

意味するものがあって
何を伝え語ろうとしているのか
半分だが
解答を手にしている

玉が落ち
煙の臭いが
急ぎ足で余韻の中から遠ざかろうとしている
現実に戻ろうとしているのだ

ガラスコップを片手で持つと
妙にひんやりとした角度を意識するが
この手触りは
間違いなく
風の領域なのだろう

ときどき
持ち込んだ疑問でその中が曇ったりするが
風の智恵を辿ると
そうなのだと納得できる

らせん状に渦巻く
器用さがあって
観察する目を集中させると
秒針単位のできごとが
そこに隠されているような気がしてくる

私は 何故 
日差しに酔いながら
円を描くようにここに立っているのか

そんな素朴な疑問を解く鍵は
手元で折れ曲がったり
立ち止まったりする
悪戯なガラスコップの角度にあるのかも知れない

光と透明感を競うように
手の指がガラスコップの中へと入り込んでいくから
少し痛いと感じる

まわりの全てが
ガラスコップを真似て
小さな円になろうとしているのかも知れない

手元では
複雑なものが
より複雑になっていく

前を向いているときも
後ろを向いているときも
たくさんの出会いに助けられ
生きてきた日々

自分のなかに
太陽を飼っていると感じたときから
好きなこと やるべきことに
夢中になれる自分が
一番好きになった

自分が好きなことで
一歩前に出る勇気を
与えてくれる人たちがいた
ダメだと引っ込むのではなく
実現させたいことは
いつも目の前にあると教えられた

一歩前に出るときは
周りの人たちも幸せにできるような
そんな一歩にしたかった

努力をすれば
ものの見方も変わる
やりたいこともわかる
他人にやさしくもなれる

楽しみ尽くして生きること
前を向いて歩き続けること
大切なのは今を信じること
人生に不正解はない
今を生きるために

歩いてきた

歩いていく

旅は
終を知らず
体はくちても
魂だけ
歩き続ける
遠い影は
笑って手を振っている
あの日
交わした
会話は
川の底に
沈んでいる
あの頃
もう少し
勇気があったなら
飛び越えていけたはずの
一線を
まだ越えられずにいる

恐ろしい人工の火炎に包まれて
轟音とともに
宇宙へ発射される スペース・シャトル
テレビは はなばなしく成功を報道し
世界の 多くの人は喝采を惜しまない

まっ暗な 土の中にも周到に準備された
小さい 種子のロケット
春の女神の 秒よみによって
コンクリートの割目から
同じ宇宙へ発射される
たくましい 芽生え
時を待って
次の世に生き残る
無数の胞子を 噴射するために

だれも気にとめない
道端の みどりいろのロケット

メタセコイア
天の竪琴
ひとりぼっちの雲が
掻き鳴らしていくよ

天使が落としていった
片方の 青い手袋は
まだ 根っこに
忘れられたまんま

赤い涙 ふりこぼして
メタセコイア
歌うよ

 愚かにも人間は 殺し合い
 愚かにも人間は
 それを やめるすべを知らない

百年を つかのまのように
ただ ひたすら丘に立つ
預言者
崇高な 天の竪琴

この美しい星を
じわじわと脅かす 暗雲の予感に
今日は私の心が 泣きながら
掻き鳴らして
歌うよ

 私たちは 月にまで届き
 宇宙を 泳ぐことさえできるのに
 その恐ろしいものを
 とめるすべを知らない
 いまもえんえんと続く 殺戮を
 ふせぐすべを知らない

自転車を出そうと
繁茂しているフウセンカズラに触れた

蝶が六七匹
思いもかけず舞い上がり
惑って
ホバリングしきれず
再びフウセンカズラの葉群に
ブルーサルビアに静まった

訪れていてくれたのだ
逝ってしまったやさしい人が
抱きしめ続けることができなかったものが
生まれようとして生まれえなかったものが
ずっと心の底で待っていたものが――

そう思うと目が覚めた
夢の目覚めの 現実との淡い狭間

毎朝起きると
まず東電の方に向かって
トーデンのバカヤロー と言って
俺の一日は始まるんだ。
と 手紙を寄こした友だちがいた。
若い日共に文学を志した一人だった。
その彼は故郷からはずぅっと遠い
大玉村という所に避難をしていた。
すでにペンを折って長いが、
陶器職人として
生計を立てていた。
その彼の突然の死を新聞で知った。
私より二つ上。
まだ死ぬ年齢ではない。
電話をすると息子が出て
シンキンコウソクでした と言った。
そうでしたか、痛みいったことをしました。
葬儀には行けなかった。

彼はもう一筋の煙となって
天に昇って行ってしまった。
ふたたび
故郷の土を踏むこともなく。

お父さんとお母さんに両手をとられ
女の子がしゃくりあげながら歩いている
お父さんが説教たれてる
ウソをつくもんじゃないよ
ウソをつくといい大人になれないよ
ウソばっかしついていると
マーちゃん ウソ人間になっちゃうよ
きっと小さなウソがばれたんだろう
行き掛り上後ろについてしまって
正義のお父さんの説教を
マーちゃんと一緒に聞くはめになって
日頃ウソばっかしついて
平気で生きてる俺が説教くらってるようで
なんとも間の悪い立ち位置だなこれは
お母さんは何も言わずにそっぽ向いてる
お利口なマーちゃんごめんなさいを連発
でもねマーちゃん
こどもはウソくらいつけなくちゃ
むしろウソが大好きなんじゃないか
ウソから生まれるわくわく―どきどき
ウソは自我へのステップなんだよ
子どもはいっぱいウソをついて
いい大人になっていくんだから
いいウソと悪いウソの見分けも
たくさんのウソの練習で分かるようになるよ
おじさんなんか子どもの頃から
数え切れないほどのウソをついてきたけど
未だいい大人になれなくて
ときどき途方に暮れるときがある
ウソつき修業が足りなかったと後悔しているくらいだ
説教たれてるお父さんもきっと
ウソをいっぱいついて大人になったと思うよ
なにも言わないお母さんはそんなお父さんを
ウソばっかしついてるくせに何言ってんの
なんて思ってるかも よ
大丈夫――マーちゃんもそのうちきっと
上手にウソをつけるようになって
いい大人になれるよ
だから――もう泣くのはお止め
大丈夫!――大丈夫だから 

母がすきやきをつくる日は
家族の特別な日だったから
きょう わたしは
母がつくってくれた すきやきを つくる

死者 と ともに立つ キッチン
妹のために すきやきをつくるのは
わたしなのか それとも 死者である母なのか

肉も白菜もしらたき も
切った大きさは皆ふぞろいで
つくっているのは やはり わたしだ

味醂とお酒と醤油と
砂糖をいくら足しても 母の味にはならないが
鍋からたちのぼる湯気を見て

泣き虫な妹が笑い
父はお酒をとりだす
そうして 家族の祝祭がはじまり

いない母は たしかに
ここにいるのだった
鍋をかこむ わたしたちの
にぎやかな 歓声として

わたしは影です
真夏の樹木の
陽差しから最も遠い
影です

あのひとのそばに
わたしではない誰かが
寄り添って歩いている
そのとき
まるで
感情がない布みたいに
野原に落ちてしまった
わたしは影

――どこかで遠雷が鳴っている
  雨の知らせなのだわ

わたしは影
いましがた
あなた方が通った
その樹の影です
みずを打ったような
真夏の街の
陽差しから最も遠い
影です

かわいい坊やに出会ったら
きっと誰でもにっこりしたくなる
心ではにっこりしても顔に出さないテレやさんもいる
それでもいいのだから
にやりと・・・
頬をゆがめて心で笑うと幸せになる

そんな人を見ると
ちらりと見ただけで
そんな時おんなは幸せを感じる
子供は宝だと素直に想えて嬉しい

宝って
おかねじゃあ無いのよね
宝って笑顔なんだよね
だから だから 貧乏しても・・・さあ
笑っていれば・・・なんとかなるよね
のんきな年寄りの言葉みたいかな
笑って 笑って

老いるまいとして
絵を描いたり詩を書いて
みなさんと読み合い
笑い興じるわたしの姿に
幸せそうだと言う介護の人

老いるまいとする
わたしの寂しさ やるせなさ
それをわかってくれるのか
老いの姿を哀しいとは見ずに
「いいなあ……」と言ってくれる

やつれた老人たちをいたわり
やさしい言葉ではげましてくれる
介護の人達も
やっぱり やるせなさを
感じずにはいられない
      のかしら

県道三十一号仙台村田線の、湾曲と勾配のつづく歩道のないアスファルトのうえを、彼は村田町菅生出張所前から仙台市太白区茂庭交差点へむかって歩いている。道の両側は切りたって森である。見るべきものを見ることができると判断されるのは切りたって夜でない。彼は胸に会社名の入った作業服を着て、先端にチョークを装着した長い柄を持っている(この道具にもし名があったとしても詩人はその名を知らないし、いずれ知ることもない)。時速五十キロを優に超えて行きかう自動車を縫って、彼はアスファルト舗装の割れた部分に丸印をつけてゆく。それが彼の仕事である。彼は彼というただひとりの男であるが、彼は下請け業者と呼ばれることもある。彼が彼の自由な意思の選択を、抗うことの不可能な巨大なちからによって拒まれたことはない。彼が彼の自由な意思の選択によってこの仕事にたどり着いたとは言いがたい。いまこの仕事で生きているという、それ以外には選択しようのない自分自身を彼は選択しているのである。彼が払う細心の注意は、アスファルト舗装の割れをあやまたず見つけることではない。自動車に轢かれないことである。彼は死にたくないとは思っていない。彼は死にたいとも思っていない。彼は死んだとしてもしかたがないと思うし、彼は死ななかったとしてもしかたがないと思う。彼は妻と娘のためにと思うこともあるし、彼は妻と娘のためにと思わないこともある。彼は轢かれないようにタイミングをはかり、ときに駆けながら、アスファルトに丸印をつけてゆく。そして彼の轢かれないという自由な意思に反していつか轢かれることも、彼は知っている(この感情にもし名があったとしても詩人はその名を知らないし、いずれ知ることもない)。